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太平洋戦争最中の1944年9月、中国雲南省松山で日本軍慰安婦が米中連合軍によって救出された映像がKBSによって発掘されました。この映像には「臨月の慰安婦」としてよく知られている故、パク・ヨンシム、ハルモニの姿もそっくりそのまま入っていました。
朝鮮人日本軍慰安婦についての記事や写真があるが、映像は本当に珍しい。今まで存在していた映像は、2017年ソウル大研究チームが世界で初めて発見した18秒のものが唯一でした。パク・ヨンシム、ハルモニ一行が中国松山から救出された後の様子でした。
今回、KBSが発掘した映像は、パク・ヨンシム、ハルモニ一行が米中連合軍によって発見された状況が収録されています。54秒の分量で長いものです。朝鮮人日本軍慰安婦の実像がより鮮やかに撮られており、学術的にも大きな価値を持っています。
■ 映像で初めて見る「臨月の慰安婦」
映像が撮影された日は、1944年9月7日と推定されます。米中連合軍が中国雲南省松山で100日間の戦闘の末、日本軍の陣地を占領していた日です。当時、残っていた日本軍がほとんど自決した後、慰安所に残っていたパク・ヨンシム、ハルモニ一行は脱出したが、連合軍によって発見されました。
今回の映像で最も目立つ人は「臨月の慰安婦」の写真でよく知られているパク・ヨンシム、ハルモニです。パクハルモニは、2000年に「臨月の慰安婦」の写真の人物と自身で明らかにした後、北朝鮮で日本軍の蛮行を告発する先鋒になり、2006年平壌で亡くなった方です。
パクハルモニは、1921年平安南道南浦で生まれ、17歳だった1939年に、土木作業員を募集するという日本の警察の言葉に騙されて、中国南京に行きました。その時から、ミャンマーと雲南省などの戦場に連行され、日本軍慰安婦として生活をしていました。よく笑う陽気な少女はひどい痛みでアヘン無しに眠れない状態に変わって行きました。
1944年9月雲南松山で発見され、当時は臨月の体でした。米中連合軍の攻撃が徐々に激しくなると、パクハルモニは、他の慰安婦と日本軍の陣地から脱出することにしました。山で生き延び米中連合軍に発見された時に撮影された映像が、今回発掘されたのです。
■ 連合軍に当惑している途中「万歳、万歳」
映像の中のパクハルモニは当時22歳であった。あどけない顔であるが、臨月でした。パクハルモニは多少、戸惑った表情をしています。パクハルモニは日本軍と一緒にいる時、連合軍に捕まったら殺されるという話を何度も聞かされてたので恐怖を感じてたと思われます。
しかし、連合軍が複数回 「万歳」を楽しそうに叫び、敵対的な態度を見せなかったため、少しずつ安堵しているように見えます。そして、ハルモニも表情を緩め「万歳」と応じて叫びました。万歳を呼ぶ時、ハルモニはどんな心情だったのでしょ?様々な感情が吹き出てきたように見えます。映像が撮影された直後、パクハルモニは出血し始め、最終的には死産をしたと証言しています。
日本人は慰安婦が日本軍のために喜んで奉仕したと主張しているが、今回の映像を見ると、このような主張がいかにとんでもないものか、知ることができます。命をかけて脱出したパクハルモニが日本軍から脱れたという事実を知り「万歳」と叫ぶ姿を見ると、これまで日本側の史料がどれほど日本の視点から書かれているかがわかります。
引用元:https://bit.ly/2TMlPGd
このニュースに韓国人から関心の声が寄せられていました。
以下、韓国人の反応を翻訳しました。
韓国人の反応
半島の名無しさん
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翻訳元:https://bit.ly/2TMlPGd
何の証拠にもなって無いんだけど…